生産技術実話シリーズ 第9話
富士フイルムは、なぜ写真フィルム市場が消滅したにもかかわらず生き残ることができたのでしょうか。
― 100年の計は、春木栄の決断から始まった ―
富士フイルムが今日まで発展を続けることができた最大の理由は何でしょうか。
多くの人は、「デジタル化への転換」「医療事業への進出」「経営改革」などを挙げます。
もちろん、それらも重要な要因です。
しかし私は、40年以上生産技術に携わってきた技術者として、その原点はもっと昔にあると考えています。
富士フイルム100年の計は、1932年、一人の技術者の決断から始まりました。
その人物こそ、春木栄です。
私は、春木栄が1932年に下したこの決断こそが富士フイルム100年の繁栄を築いた「百年の計」であったと確信しています。

当時の南足柄村は、人口約4,500人、戸数約700戸の小さな寒村でした。
しかし春木栄は、この地に他にはない価値を見抜いていました。
それは、箱根・明神ヶ岳の麓から湧き出る、年間を通じて枯れることのない豊富で良質な水でした。
写真フィルムの製造では、大量の水を使用するだけではありません。
その水質そのものが製品品質を左右するのです。
春木栄は、南足柄の水資源こそが、将来の富士フイルムを支える最大の財産になると確信しました。
工場用地は、一反(約10アール)950円という価格で取得され、ここに富士写真フイルムの最初の工場が建設されました。
春木栄は初代工場長として工場建設と操業を指揮し、その後も100歳を超えてなお会社の歩みを見守り、101歳で天寿を全うされました。
現役を退いた後も、毎年開催される会社の新年会には欠かさず出席され、歴代社長の年頭方針演説に静かに耳を傾けておられました。
創業の地を自ら選び、その工場を育て、そして会社の未来を生涯にわたって見届け続けた姿は、多くの社員にとって精神的な支柱でもありました。
まさに「ミスター富士フイルム」と呼ぶにふさわしい人物でした。

私は、この立地選定こそが、富士フイルム100年の計であったと考えています。
南足柄という世界有数の水資源に恵まれた地を選んだからこそ、高品質な写真フィルムを長年にわたり安定して生産することができました。
そして、その生産現場で蓄積された膨大な技術が、後に医療材料、高機能材料、液晶材料、半導体材料など、新たな事業へと発展する礎となったのです。
富士フイルムが生き残った理由は、決して偶然ではありません。
その原点は、1932年、春木栄が南足柄という地を選び、「水」を選び、「品質」を選んだ、その一つの決断にありました。
私は、この決断こそが、富士フイルム100年の歴史を築いた最大の功績であると考えています。
次回は、この世界最高の立地条件のもとで、富士フイルムがどのように世界最高水準の生産技術を築き上げていったのか、その真髄についてお話ししたいと思います。
優れた生産技術は、一朝一夕には生まれません。その土台となる立地、自然環境、そして未来を見通す技術者の決断があって初めて育まれるのです。
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