[News深堀り] 2025ノーベル化学賞は「金属有機構造体の開発」に!
2025年度のノーベル化学賞が10月8日(水)発表され、金属有機構造体(MOF:Metal Organic Frameworks)(以下、MOFと言う。)の開発に対して、京都大学の北川進特別教授ら3名に授与されました。
この受賞を契機に、「モノ作りニッポン(日本の産業力)」の観点から、MOF、特に配位高分子や多孔構造体を含む金属有機ハイブリッド材料が持つ産業的価値や展望を整理します。 [技術士(化学部門)中村博昭]
1.MOFの技術的特徴
まず、MOFとは、金属イオンや金属クラスターを「節点」とし、有機分子(リンカー)を「辺結合子」として結合させ、3次元の結晶性骨格構造を構築したものです。その結果、極めて高い比表面積・空隙率・細孔制御性を備える構造体が得られます。技術的ポイントとして、以下が挙げられます:
・高い比表面積・空隙率:小さな質量・体積で多数の孔を有するため、ガス吸着・貯蔵能が高く、分子の出入りが可能。
・構造のモジュール性・設計自由度:節点金属種、有機リンカー、枝構造、空間構造(トポロジー)を変えることで、目的に応じて最適化が可能。
・選択透過性・分離機能:孔径制御や化学修飾を通じて、特定分子だけを選別・吸着できる可能性。
・化学反応場(触媒機能)、輸送路としての応用性:空隙内部に触媒活性中心を導入し、分子間反応場になる、あるいは流体分子を導くネットワーク構造になる。
・安定性・制御性の向上:初期のMOFは安定性に課題があったが、後続研究で熱・湿度・機械応力に耐える構造、そして柔軟性を持たせる構造も開発されてきた。
これにより、ガス吸着・分離、貯蔵、触媒、環境浄化、センサー、エネルギー材料、薬物送達系など幅広い応用領域が見込まれています。
2.産業適用ポテンシャルとマーケット
MOFは、以下のような応用分野・用途で産業価値が見込まれています:
応用分野 | 具体用途 | 産業的価値 / ポテンシャル |
---|---|---|
ガス吸着・貯蔵 | 水素、メタン、二酸化炭素の貯蔵 | クリーン燃料(燃料電池水素貯蔵)、天然ガス貯蔵や輸送、CO₂回収 |
ガス分離・分離膜 | CO₂/N₂分離、CO₂/CH₄分離、酸素/窒素分離 | 石化・化学プラント、ガス精製、排ガス処理 |
環境浄化・水処理 | 有害物質吸着(重金属、PFAS、薬剤残留など)、廃水処理 | 上水・排水処理施設、産業排水浄化、環境修復 |
水の空気からの採取 | 乾燥地域からの水分回収 | 灌漑、飲料水供給、災害時対応 |
触媒用途 | 有機反応触媒、酸化還元反応、CO₂換算反応など | 化学品/医薬品合成、環境対応触媒、燃料合成 |
ガス分離+触媒複合機能 | 吸着と反応が一体となる機能性材料 | プラントプロセスの効率化、省工程化 |
センサー・検知 | 特定ガス・揮発性化合物の検知 | 安全監視、環境モニタリング |
電気化学材料 | 電極材料、イオン輸送体、キャパシタなど | 次世代二次電池、スーパーキャパシタ |
薬物送達・医用用途 | 薬物カプセル化、制御放出 | 医薬・バイオテクノロジー分野 |
これら用途のいくつかは既に実証研究やプロトタイプレベルで実現されつつあり、将来的には商業化のポテンシャルが高いと見られています。
産業的市場規模には一定の不確実性がありますが、CO₂分離・回収、市場拡大が期待される水素社会インフラ、空気中水回収、環境材料用途など、新しい需要は潜在的に大きいと考えられます。
3.日本における強み・課題(ニッポンとしての競争力視点)
<強み("モノ作りニッポン"視点での優位性)>
1. 素材・化学技術基盤
日本は無機・有機化学、触媒、セラミックス、材料科学分野で長年の実績があります。高純度金属素材、精密有機合成、加工技術を強みとする企業・研究機関が存在。
2.産業インフラとモノ作りネットワーク
化学プラント、半導体装置、精密ガス制御技術など、製造業の基盤が整っているため、MOF材料を活用したシステム構築力がある。
3.大学・公的研究機関との連携能力
学術力(例:京都大学の北川先生など)と産業界との連携、スタートアップ創出力が比較的高い(研究成果の応用で実績を出せる潜在性がある)。
4.特許・知財管理体制
研究開発の成果を適切に保護・ライセンス化する実務ノウハウを持つ企業群が存在。
5.品質・信頼性重視文化
高品質・長寿命化が要求される材料分野で、日本企業の強みが発揮できる可能性。
<課題・リスク>
1.コスト競争力
MOFはしばしば合成コストや前処理コスト、スケールアップ可否、耐久性改善のコスト負荷が高くなりがち。量産化に耐えるコスト低減技術が必須。
2.耐久性・安定性の確保
実環境(湿度、温度変動、化学的ストレスなど)で長期間使える構造体であることが求められる。構造崩壊、劣化の抑制が技術課題。
3.スケールアップ(量産化技術)
実験室スケールでの性能を製造スケールでも再現するための合成ルート設計、結晶成長制御、薄膜化技術など。
4.統合システム化能力
MOF単体だけでなく、ガス分離装置系、流体制御、触媒系、センサー系などとの統合設計・システム化ができる産業力。
5.国際競争激化
米国・中国・ドイツなども資源を投入している分野であり、知財競争、先行技術獲得競争に遅れをとらないこと。
6.安全性・環境適合性
MOFが環境負荷を及ぼさない、あるいは劣化生成物が毒性を持たないことの検証が必須。
7.需要創出とマーケット形成
新材料を使う産業側(化学企業、ガス産業、プラント事業者など)の採用ハードルが高く、初期需要の創出が鍵。
4.戦略的示唆:日本産業としての方向性と政策支援
以下は、MOFを活用して「モノ作りニッポン」が競争力を持つための戦略・政策視点です:
(A)選択集中と用途特化戦略
MOFは万能材料ではないため、すべての応用領域を追うよりも、強みを出しやすい応用分野を選定・集中することが重要です。例えば:
・CO₂分離/回収用途
・水の採取(乾燥地域対応)
・高付加価値触媒用途
・センサー用途
・医薬用途(特に日本が強みを持つ分野)
用途を絞ることで、研究開発資源を集中でき、先進実証や量産化ロードマップを明確にできます。
(B)スケールアップ技術とプロセス設計
MOFの合成・成形・実用化プロセス開発(合成ルート、反応条件設計、結晶成長制御、膜形成、成形化、耐久性評価など)を産業レベルで確立する必要があります。このためには、企業・研究機関の共同研究、パイロットライン構築が重要です。
(C)システム統合(モジュール化・装置化)
MOF材料単体を作るだけでなく、それを実際に使える装置やモジュール(ガス分離モジュール、水回収ユニット、環境浄化フィルターなど)として統合できる設計力を持つ必要があります。材料→デバイス→システムという上流・下流の連携が鍵です。
(D)産学官連携とスタートアップ支援
優れた大学研究成果を基にスタートアップ化を促進し、リスクを取って産業化を目指す動きを支援する政策が必要です(研究開発補助金、税制優遇、実証施設提供など)。
(E)知財戦略と国際協調
MOF関連で国内外で特許を確保するとともに、国際共同研究や技術提携を行い、先行技術流出を防ぎつつグローバル展開を図るべきです。
(F)規格標準化・信頼性保証
産業用途では信頼性・寿命・安全性が非常に重要になるため、品質保証や評価基準、信頼性試験・標準化を早期に整備すべきです。
(G)支援政策・インフラ整備
国として、研究開発投資、実証プロジェクト支援、先端材料実証インフラ整備(テストベッド、評価施設、スケールアップ設備など)の整備が効果的です。
5.まとめ:モノ作りニッポンにとっての本質的価値
2025年度ノーベル化学賞によって、MOF分野は“科学の最前線”として国際的な注目を浴びることになりました。これを単なる研究のシンボルとして終わらせず、素材イノベーション→高機能部材→システム製品化へと繋げることで、日本の製造業、化学産業、環境産業をアップグレードするチャンスがあります。
特に、日本が持つ材料技術力、精密制御技術、品質・信頼性技術、産業インフラとの親和性を活かせれば、MOFは次世代モノ作りの鍵となり得ます。だが、それを実現するには、材料研究だけでなく、量産化、構造安定性、システム統合、事業化マインド、政策支援といった複合要素を戦略的に統合する必要があります。 [技術士(化学部門)中村博昭]